変わりゆく町に変わらない場所を残す

信濃川田駅は約100年前、1922年(大正11年)に河東鉄道の町河田駅として開業しました。今では貴重な木造駅舎です。 昨今、この信濃川田駅近くで(仮称)若穂スマートインターが建設されることが決まり2026年(令和8年)には供用 開始する予定です。このスマートインターの建設は付近の交通の流れを大きく変えるほどの影響力を持っています。

長野電鉄の屋代線が廃止となった2012年ごろ、信濃川田駅は交通公園にする計画が立てられていました。それに向けていくつもの 車両が駅構内に配置されましたが、残念ながら列車は移設・解体され交通公園としての計画も実現されないまま今日に至ります。 また、同じく旧屋代線の駅であった松代駅は道路工事計画で解体されることがほぼ決まっているとの話が聞こえてきます(確定では無いそうです)。 信濃川田駅もスマートインターの建設の影響を受けるのは必至です(現に、信濃川田駅の南側(高速道路側)はスマートインター 建設の資材置き場になる予定とのこと)。

「信濃川田駅保存会」としましたが、私たちは具体的に何が出来るかわかりません。駅を管理している長野市や維持メンテナンスを されている地元の方々との意見交換を行い、活用・保存に向けてより良い方策を探る必要があると考えています。 駅自体を保存するだけではなく、駅やその周辺の土地の新たは活用方法を地元の方々や信濃川田駅のファンと共にアイディアを 出し合いたいと考えます。 その為に、このサイトで情報発信や意見交換、賛同者との交流を行っていければと考えます。

一度なくなってしまったものは元に戻すことは出来ません。 ですが、ファンの一時的な思いで物事を進めるのではなく、地元の方々意見交換を行いより良い方策を模索したいと思います。

地元の方々、長野市の賛同を受けていないため「私設」としました。
発起人 池尻 道泰

歴史

  • 1922年(大正11年)6月10日 河東鉄道により町川田駅として開業。
  • 1923年(大正12年)3月12日 町川田駅を信濃川田駅に改称。
  • 1926年(大正15年)9月30日 河東鉄道を長野電気鉄道が合併し、長野電鉄が発足。これに伴い河東線の駅となる。
  • 1945年(昭和20年)8月13日 長野空襲の際、当駅に停車した列車に米軍機による攻撃が加えられ、死傷者を出す。
  • 1971年(昭和46年)10月1日 貨物営業を廃止。
  • 1983年(昭和58年)8月14日 手小荷物営業を廃止。
  • 2002年(平成14年)9月18日 路線名改称により屋代線の駅となる。
  • 2012年(平成24年)4月1日 屋代線廃止により廃駅となる。

所在地

長野県長野市若穂川田3180-2

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